心こそ大切なれ
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カテゴリー:ブログ / 作成者:伊藤わたる
22.4.5聖教新聞「名字の言」
作家の正岡子規は病と闘いながら執筆を続けた。だが彼の文章には、それを感じさせない明るさがある。
ある時は病床でガラス細工の金魚が入った置物を見て、こうつづった。「痛い事も痛いが綺麗な事も綺麗ぢや」(『墨汁一滴』岩波文庫)。病苦さえ笑い飛ばすような彼の心は、実に伸びやかで自由だった。
宮崎県西都市のある女性部員は3年前、夫が若年性アルツハイマー病を発症した。記憶を失う不安、つらさ、いら立ちで表情は変わり、暴言を浴びせる夫に戸惑い、涙したことも。懸命に祈った。すると、一緒に学会活動に励んだ楽しい日々が次々とよみがえった。“二人で積んだ「心の財」は永遠に消えない”。そう確信して祈り、夫に接すると、症状が落ち着き、笑顔まで見せてくれるように。
人の名前も字も忘れた夫だが、命に深く刻んだ題目は忘れなかった。今、夫妻の日課は朝夕の唱題。そして地域のマラソン大会に向けて練習に汗すること。「私たち、今が一番幸せかも」と照れ笑いする彼女の姿が印象的だった。
人の幸・不幸を決めるのは誰かではない。自分の心だ。心を強くし、豊かにすれば、どんな試練さえ幸福の糧にしていける。仲むつまじい夫妻の歩みが、それを物語っていた。(誠)
※写真は週末の党支部会(中村区)にて。自民・寺西むつみ県議(後方中央)、公明・犬飼あきよし県議(左)・中村みつる市議(前方中央)とともに
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