幸福についての議論を
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カテゴリー:ブログ / 作成者:伊藤わたる
こんにちは「いとう渉」です。
ここのところ、子どもを巻き込んだ事件が重なっている。子を持つ親の一人として、胸が張り裂けるような痛みを感じる。TVでは容疑者たちの過去を映し出しながら、その原因を探ろうとしている様だ。
私が気になるのは、それぞれの容疑者がそうした行為に及ぶまで、家族をはじめ周りの人は何も気付かなかったのか、あるいは、気付いていても声をかけるなど気付きを行動にうつさなかったのだろうか?ということだ。全く気付かなかったのだとすると、それほどまでに人間の孤立化が進んでいることが裏付けられるようで恐ろしくなる。
人と人とが分断の方向に進んでおり、社会全体の犯罪抑止力が低下していることが大きく影を落としていると思えてならない。
さあどうする?
「豊かさのゆえ」「便利になりすぎた」、結果として人と人とのつながりが薄れてきた、あるいは、人と交わらなくても生きていけると錯覚してしまった、という表現もできるかもしれない。血のかよった人と人とのつながりを何としても取り戻していかねばならない。
そこに必要なことは「人間の幸福とは?」という価値観の議論だ。全ての目的はここに集約されなければならない。もちろん社会の繁栄や自然の保護も重要であり、そのためのポイントは「他人の不幸の上に、自身の幸福を築かない」ということだろう。
今、政治もマスコミも財界も、根本の目的が何かを見つめるときではないだろうか。
「一人一人の幸福と社会の繁栄の両立」という究極の目的達成のため、今日も活動を続けます。
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