靖国参拝に思うこと – 伊藤わたる衆議院議員

靖国参拝に思うこと

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 こんにちは!本日は沖縄北方特別委員会の委員派遣団の一員として、只今沖縄に向かっています。今回の視察で沖縄の歴史と現状をしっかり学んでいきたいと思います。
 沖縄といえば第二次大戦で悲惨な地上戦を経験した島ですが、61回目の終戦記念日となった先週15日、小泉首相が靖国神社を参拝して大きな論争となりました。私も地元名古屋で終戦記念の街頭演説に立たせていただき、あらためて戦争と靖国の問題について考えさせていただきました。
 靖国神社の問題は私が言うまでもなく、A級戦犯の合祀問題をはじめ、公式参拝等の憲法問題や歴史認識、果ては外交問題に至るまで、あらゆる面で議論の対象となっています。
 私はこの場で靖国の問題を取り扱うことが良いのか悩みましたが、この問題に無関心であってもいけません。“今、自分にできることは何なのか”ということを考えたとき、“靖国とは何か”ということを自分なりに整理することは必要であると考え、つたないながらも現時点での自分の思いについて書かせていただきました。

《靖国・・・新しい思想・伝統の創造》
 “靖国は日本の文化です” 小泉総理は参拝後の記者会見でこう述べていました。しかし歴史をひも解いてみると、靖国神社の歴史は古いものではなく、またその精神は古来より受け継がれてきた日本の伝統とは異なったものであったようです。まず、靖国神社の概要を簡単に説明すると以下の通りになります。
○明治2年(1869)、戊辰戦争で戦死した官軍兵士を慰霊するため、「東京招魂社」として創建され、明治12年(1879)に靖国神社と改称された。
○靖国神社本殿に祀られている「祭神」は神話に登場する神などではなく、戦争で日本の為に命を捧げた「英霊」である。祭神総数は246万6000余柱。なお合祀される対象は日本国民及び死亡時に日本国民であった人に限られている。
 150年前に創建された靖国神社が、現代において問題となっているのはなぜなのでしょうか。その理由の一つに、靖国神社が持つ特異性があるようです。
 神社の「神」といえば、普通は自然を神格化したものであったり、天孫降臨神話によって成立したものであったり、歴史上の実在人物が次第に神格化されていったりと、「八百万の神々」の名が示すとおり多種多様に存在します。しかし御霊信仰を除くと、没後間もない人間そのものが神になるという伝統は、わが国にはありませんでした。
 それが明治時代になると変化します。明治新政権は自身の正当性を宣揚するために、政権樹立のために犠牲となった人々を天皇の忠臣として祀るという、新しい思想を形成します。そして「招魂社」を建設して「招魂祭」を行い、戦死者の「みたま」を栄光で包み、永久に神社にとどめて顕彰していきます。その後戦争があるごとに戦没者のための合祀祭を開催し、祀られる祭神の数が増えていきました。
 このとき初めて、日本の伝統にはなかった、「戦死者を神として祀る神社」、「祭神が増え続ける神社」という、後に「国家神道」と呼ばれる新しい思想が誕生するのです。
 その後、国策によって神道が宗教から「道徳」や「愛国心」に置き換えられていくにつれ、神社への参拝が当然となり、「靖国で会おう」という言葉が国民的常識となっていきます。これら日本人の思想の変遷に重大な役割を果たしたものが「国定教科書」であり、「教育」の力でした。

《教育の重要性》
 “現在の日本の平和と発展は、戦没者の犠牲のおかげです”。メディアのインタビューなどでよく聞かれるこの言葉の奥に、“日本という国家が、死ななくてもいい人たちを戦場に駆り出し、犠牲にしてしまった”との視点が希薄に感じるのは私だけでしょうか。
 国家が編集した教科書によって、“死んだら靖国神社に行けるのだ”と学び、先生に連れられて神社に参拝し、それを美徳とする道徳観をはぐくむなど、子供の頃から忠義と愛国精神を涵養する一連の教育効果は、戦争遂行に少なからぬ威力を発揮したのは確かです。
 靖国の問題を通して私が考えさせられたもの・・・それは、一つには「『正しい教育』によって国は発展し、『誤った教育』によって国が滅びる」ということと、もう一つは「人の心が国家権力によって操作される恐ろしさ」ということでした。
 このようなことを考えたとき、首相が“靖国神社に参拝し、不戦の誓いをあらたにする”と述べていましたが、本当に不戦の誓いをするのであれば、首相が靖国神社に参拝するのではなく、わが国のかつての為政者、あるいは国家機構が、靖国神社を戦争遂行のために少なからず利用したことを認めて、靖国神社とのかかわりを絶つべきではないかと思うのです。
 そして、多くの日本人が戦争の犠牲者であるのと同時に、わが国の犠牲者の何倍ものアジアの人々が、わが国が引き起こした戦争によって犠牲になったという事実をしっかり学び続けることが大切だと考えます。そのためにも、日本の近現代史の教育に真剣に取り組まなければならない時が来ていると考えます。

《おわりに》
 靖国の歴史を考えるとき、政治に翻弄されることなく、戦争で肉親を失くされた遺族の方々の静かな安寧の場となるのが一番良いと思うのは私だけでしょうか。引き続き思索を続けていきたいと思います。

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