明日から「発達障害啓発週間」
自分の“ふつう”を問い直す
明日から「発達障害啓発週間」(8日まで)。発達障がいは、生まれながらの脳の特徴により、発達に偏りがある状態のこと。広い意味では「個性」といえる。
自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)、チック症など、発達障がい者はその特性ゆえに周囲から誤解を受けやすく、悪意がないのに結果的にトラブルにつながってしまうことは珍しくない。
一見、“障がい者の言動で周囲の人が困っている”構図になりがちだが、一番困っているのは障がい者自身であり、その家族である。
世界の人口の15%、約12億人が何らかの障がいと共に生きている。2006年に国連で採択された「障害者権利条約」には、障がいは個人の問題ではなく、社会の側が変わらねばならない課題であるとの視座が打ち出されている。
「障害と経済」をテーマに研究を続ける東京大学大学院の松井彰彦教授は、日常生活における「ものの見方」について、“ふつう”を問い直す重要性を訴える。
「社会のきまりも、“平均的な人”に向けてつくられたものばかりであり、そのきまりに適応できない人が『障害者』等と認識される」と述べ、制度上は「障害者/非障害者」という基準で線引きされる場面もあるが、私たちの見方や考え方までもが、二分法になってはならないと警鐘を鳴らす。そして「たとえ同じ人であっても、“この場面では問題ないけれども、別の場面ではサポートが必要だな”というように、柔軟に捉えていく視点が大切」と語る(本紙21年6月18日付)。
顔や体形、性格など、人それぞれ。一人として同じ人間はいない。池田先生は述べている。
「その違いを、『排除しようとする方向』ではなく、『認め合う方向』へと『心のベクトル(方向性)』を変えていくことが大切だね。『みんな〈違う〉って、すばらしい!』ということを教えていかねばならない。多様性があってこそ、社会は、さまざまに力を発揮するのです」
学校や仕事の成績には順番があるかもしれない。しかし、生命に序列はつけられない。誰しもが「一番」なのである。この人間主義の哲学を根本に、思いやる心を広げていけば、もっと優しい社会になるだろう。(22.4.1聖教新聞「社説」)
※写真は友人の写真家・森田正義さん撮影
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