人生の先輩に感謝! – 伊藤わたる

人生の先輩に感謝!

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おはようございます!

今日は「敬老の日」。

人生の先輩へ、感謝の思いを込めて、地域の敬老会で紹介したお話を記します。

長野県諏訪中央病院・鎌田實先生のお話

ぼくは拾われた子どもです。終戦5年目の1950年、生みの親が捨てた1歳のぼくを亡き父、岩次郎がもらってくれました。 37歳、諏訪中央病院の副院長だった時に偶然、その事実を知りました。

好きになるのに40年もかかったけれど、岩次郎という男の存在がぼくの核をなしています。 岩次郎は青森県花巻市(現・黒岩市)で貧農の末っ子として生まれ、小学校しか出ていません。18歳で上京し、公営バスなどの運転手で生計を立てます。 バスの車掌だった母のふみと結婚しますが、居を構えた東京都杉並区の家は6畳二間と3畳、お勝手。はじめはお風呂もありませんでした。

ぼくが小学校に上がる前、母が僧坊弁狭窄症(そうぼうべんきょうさくしょう)という 心臓病を患います。入退院を繰り返した先は、日本で唯一の心臓病専門病院だった、東京女子医大付属日本心臓血圧研究所(心研)でした。

50年代、往診こそ頼めても貧しい人が高度な医療を受けるのは大変でした。 国民皆保険になるのがぼくが中学生になる61年だし、もちろん高額療養制度もない。 岩次郎は、朝8時から夜まで、長い日は1日15時間も働きます。

切りつめても切りつめてもお金は母の治療費に消える。 疲れ切って帰り、夕食をつくれない夜はぼくを連れて近くの定食屋へ。 ぼくはいつも、おかずに一番安い野菜炒めを選びました。

名前の通りに頑固で、無口だけど声が大きく、津軽弁で理路整然と話す人でした。背筋が伸びて、シャンとしていました。 上京した同郷の苦学生を狭い家に置いてあげたりもしていました。

でも、ぼくが運動会の徒競走や試験で一番になっても、岩次郎は決して褒めてくれません。全力を出し切っていないって見られました。叱られて、叱られて、ぼくは育ちました。 

「ぼくのほうを見てよ。理解してよ」 と心でつぶやきながら。

だからこそ、ビザの申請のために取り寄せた戸籍で、父親の欄に別の名前を見た時、本当に衝撃だったんです。

血のつながっていない岩次郎が、ぼくを育ててくれていた。 心臓病の母を抱えたあの貧しい暮らしの中で、「拾ってやった」 とか、恩着せがましい言葉を一度も口にせず。泣き言も言わず、弱音も吐かず。 岩次郎は苦難から逃げなかった。 苦しい時ほど、その苦しみを横に置いて、誰かのために生きようとした。 がんばって、がんばって、全力投球で、最後は個人タクシーの運転手を70歳くらいまで務めました。

12年前に亡くなった岩次郎は今も、ぼくの内側でどんどん大きくなっています。

日々、健康と無事故を心がけていただきながら、家族や、地域に、これまでの経験をとおして、人生における大切な何かを、伝えていただけますことをお願いし、私のお祝いの言葉といたします。本日は本当におめでとうございます。

―――
鎌田 實 (かまた みのる)
1948年東京生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県茅野市の諏訪中央病院医師として、患者の心のケアまで含めた地域一体型の医療に携わる。
88年同病院院長に就任し、2005年から名誉院長。同時に東京医科歯科大学臨床教授、東海大学医学部非常勤教授も務める。 また、91年からチェルノブイリ事故被災者の救援活動を開始し、94年信濃毎日新聞賞を受賞。
04年からイラクへの医療支援も開始し、四つの小児病院へ毎月400万円の薬を送り続けている。

今日は「敬老の日」
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