緩和ケアの推進 – 伊藤わたる

緩和ケアの推進

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おはようございます。週3日は上京し、来年度予算概算要求に向けての準備などに取り組んでいます。

その中で、公明党ガン対策本部として取り組んでいることの一端をご紹介します。

公明党が「緩和ケア」を強く推進するのは、①診断時から、心と体の痛み・辛さを全力で取り除く②最期まで、誰かが「心の支え」(心のケア)となってくれる医療―の実現のためであり、がんと診断された時からはじまり、「人生の完成期」まで絶対に必要なことと考えています。

以下は、湘南中央病院在宅診療部長・奥野滋子さんの話しの抜粋。

《 「終末期は人生の完成期」⇒心に響く緩和ケア医の“心構え” 》

人は皆、死ぬことを誰もが認識していても、自分の死は遠い先のことと考えている人が多すぎると感じています。

突然の病で初めて自らの死を思い、途方に暮れる人も。反対に“死の予習”をした人は、生きている時間をもっと有意義に過ごすことができるのではないでしょうか。

「私の全てが、がん」ではなく、健常者と異なる点は、がんを有するという点だけ。毎日をフルタイムで闘病するのではなく、1日のうちのパートタイムと考えてはいかがでしょうか。

痛みは人間的感性を壊し、生きる気力さえも奪います。緩和ケアは、末期のがん患者だけでなく、がんと診断された時から治療と共に行うべきです。

救命医療に従事していた時、ある患者に「私は、今も頑張っている。『末期患者』なんて、医療者が勝手に付けた言葉じゃないか」と言われたことがあります。それ以来、命と医療の限界を知った上で自分だけの最期を創出する時期と位置づけ、「人生の完成期」と言うようにしました。

インターネット等で氾濫する出所不明な治療には要注意。最も大切なのは、治療効果が得られない場合の“最悪のシナリオ”も同時に考えておくことです。

家族は患者に「頑張れ」と激励しがち。でも、終末期の人はすでに最大限、頑張っているので安易な励ましは禁物です。

今や、高齢者の1人暮らしは一般的。“おひとりさま”の死を「かわいそう」などと言う人がいますが、そもそも人は、死ぬのは自分1人で、誰もが“孤独死”です。私は、孤独死は無縁死とは違うと考えています。縁とは「人の心にとどまる」ということ。

死は存在の終わりではなく、誰かと縁をつなぐ努力をすることで、死後も人の心に宿ることができます。
だから、家族とは「血縁だけでなく、絆を結んだ周囲の全ての人」と捉えています。
一緒に病気と闘い、折れそうな心を支えてくれるのは、自分をよく理解してくれている“本物の家族”です。

これからは「1人で死んでも大丈夫」と言える社会が求められる時代だと思います。

緩和ケアの推進

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