住生活基本法案 – 伊藤わたる衆議院議員

住生活基本法案

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 こんばんは(^^;) 最近、ブログが滞り気味ですみません・・・。
 その分、国土交通、法務、沖縄・北方の各委員会で積極的に質問をさせていただいてますので、詳しくは活動報告に準備出来次第ご報告してまいります。

 さて、今日は初めて本会議にて公明党を代表して質問をさせていただきました。現在、国土交通委員会では『住生活基本法案』について審議が進められています。

 わが国の住宅基本法制定の動きは、今から90年近くも昔、東京市長に就任直前の後藤新平氏によって起こされました。当時の官僚、学界、建築界の有力者で構成された後藤氏が主宰する「都市研究会」は、次のように提案しています。

 「住宅が沢山出来ますれば、住宅の不足に対する方策はそれでほぼ目的を達せられる」、しかし「住宅の改良、つまり住宅問題といふものが残って居て、今まで申しただけでは足りない」と指摘し、「国家又は公共団体が組織的住宅政策を執って、而して之に必要なる法制を整へて実行しなければならぬ」として、個人の力を超える住宅問題の解決のために「住居法案」の制定を呼びかけています。

 後藤氏らの住居法提案と時を同じくして、地方からも制定を求める声は上がっています。当時の大阪市長・関一(せきはじめ)氏は、わが国では「住宅問題よりもまづ都市計画が世論の焦点になっている」と批判したうえで、より具体的に法案に規定すべき内容として、住居地区の改善、住宅調査、住宅供給などを列挙し、政府に制定を迫っています。

 関市長が最も熱心に強調したのは、当時の先進国・英国をモデルに「文明国として必要なる最低の標準」としての居住水準を定めること、そして耐震偽装もなかった時代に住宅監督制度を整備することでありました。

 今日からみると、関市長の積極的な提言は、驚くべき先見性をもっていたという以上に、国に居住水準の確保を求める一方で、危険な住宅に対する住宅監督の必要性を、“地方自らの発想”でその解決に苦慮していたことは象徴的でもあります。

 このような後藤新平・関一両氏の住居法の構想はその後どうなったのか。関東大震災や道路・鉄道整備など都市計画の優先によって昭和10年代まで放置され、財団法人・同潤会(どうじゅんかい)によって法案要綱の骨子まで作成されましたが、結局、第二次大戦突入によってそれも阻まれました。

 戦後、法案化は建設省でも触る程度にしか検討されず、昭和44年にわが国で初めて住宅基本法案を議員立法として提出したのは公明党でありました。その後も公明党は平成3年までに計8回、国会に提出しましたが、いずれも審議未了に終わっております。今国会においてこそ、建設的かつ有意義な議論が行われることを心より期待して、真剣な質疑を行っていきます。

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