敗北と屈辱を糧にして – 伊藤わたる

敗北と屈辱を糧にして

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(1/6日経新聞より)

ステイホームで過ごしたこの正月は箱根駅伝をゆっくりテレビ観戦した。下馬評を覆して往路を制した創価大が復路も堅実にリードして大差で最終10区へ。これは勝負がついたなと思って見ていたら、最後に思いもよらぬどんでん返しが待っていた。

職業柄、スポーツに常に劇的な展開を求めているので、なんとなく追う駒大を応援していたのだが、本当にそうなったら創価大のアンカーに感情移入してしまった。必死に足を動かそうとしても動かない。9区まで仲間がそろって実力通りの走りをしていただけに、悔しくて情けなくて泣きたくなったことだろう。

自分が箱根を取材していた1990年代は、故障や体調不良でも出場する選手がいたので今より波乱が多かったが、明暗がこれほどくっきりした逆転劇は記憶にない。

彼は大差を意識して最初から慎重に走っていた。脱水症状など体の不調かもしれないが、初優勝がかかる極度の重圧のため、抑えたつもりでも力が入ってしまい、異常に消耗していたのだと思う。

チームメートに申し訳ないと落ち込んでいるだろう。だが、これほどの悔しさや屈辱感、敗北感を味わうことは、普通の学生生活では絶対にない。学生スポーツで大切なのは、この経験を次のステップでどう生かすかだと思う。

学生時代にアメリカンフットボールに打ち込んだドームの安田秀一社長は、本紙夕刊や電子版で連載するコラム「スポーツデモクラシー」で、スポーツを通じて学んだ一番大事なことは「敗北を受け止める」ことだと書いている。

どんなに頑張っても常に勝てるわけではない。スポーツはその現実をはっきりと分からせるが、人生もそれは同じ。うまくいかないとき、自分の力ではどうにもならないとき、敗北とどう向き合い、次のチャレンジへの糧にしていくのか。人生を充実させるカギとなる。

残酷なほど明暗が分かれたレースを見ながら、ある学生ランナーのことを考えていた。小学校の時に箱根駅伝を走ることを誓い、希望の大学に進み、3年時には16人のエントリーに残ったが、出場はできなかった。そして最終学年の今年も彼が箱根を走ることはなかった。この春、商社に入って社会人になるという。

夢破れて競技生活を終える学生アスリートも大勢いるだろう。でも、人生の勝負はこれからである。

【敗北と屈辱を糧にして】1/6日経新聞より
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