「ありがとう」は奇跡の言葉
おはようございます。毎日、大応援を本当にありがとうございます。日々、予算委員会の公明党の責任者として奮闘中です。予算通過に向けて全力で頑張ります。寒かったり、暖かったりの毎日、体調管理には十分お気をつけくださいね。
今朝は、娘が先輩からいただいてきた素敵なエッセーをお届けします。
「ありがとう」は奇跡の言葉
ありがとうは〈奇跡の言葉〉である。口に出せば、元気が出る。耳に入れれば、勇気がわく。
「ありがとう」を言う時、聞く時、人は心のよろいを脱ぎ捨てる。人と人が深いところで通い合える。
「ありがとう」と素直に言える心は健康である。だから「ありがとう」を言うたびに、あなたの心は光ってくる。体にも生命力がわく。
自分が、どんなにたくさんの人やものに支えられて生きているか。ーーーありがたいと思う、その自覚が、感激が、その喜びが、さらに幸せを呼ぶ。
「ありがとう」と言えない時は、人の成長は止まっている。成長している時は、人は他人のすごさが見えるからだ。成長が止まると、人の欠点ばかりが目につくからだ。
ある婦人は晩年、病んで、家族の名前さえ思い出せなくなった。しかし、「人生で一番幸せだったのはいつ?」と聞くと、はっきり答えた。「娘が生まれた時です。・・・うれしかった!」それを聞いた娘さんの眼から、涙がどっと、ほとばしった。
「ありがとう、お母さん。その一言で十分です」
そして自分の子どもを、いつも叱ってばかりいたことを反省した。「そうだ、この子が生まれてくれたことだけで私は幸せだった!」
それなのに、いつか、自分の中に「理想の子ども」に、この子を合わせようとしていた。百点の理想像と比べての減点主義。いつも、「ここが足りない。あれが、もうちょっと」「どうして、こんなことができないの!」。
そんなお母さんだったのに、子どもが一生懸命、こたえようとしてくれた。優しくしてくれた。ありがとう。本当は、あなたが生きていてくれるだけで、お母さんは幸せ。あなたはそこにいるだけで、お母さんを幸せにしてくれる。ありがとう。
彼女は、新しい目で子どもを見た。すると、「ありがとう」「うれしい」の材料には、こと欠かなかった。
朝、ぎりぎりだけど起こせば起きる。それは実は「すごいこと」なんだと感動した。ご飯も好ききらいはあるけれど、成績は良いとは言えないけれど、「今日も学校に行ってくれて、ありがとう」。
「無事の一日」にありがとう。「当たり前」と思う心は傲慢だと気づいたのである。
病を宣告されてはじめて、今まで健康を「当たり前」と思い、少しも感謝していなかったと気づいた人もいる。
だから、たまには、しっかり目を見て「お父さん、いつもありがとう」と言ってみてはどうだろう。お父さんも黙って食べないで、奥さんに「いつもありがとう」と言ってみてはどうだろう。照れくさくても言ってみれば、そこから何かが変わっていく。
(写真:三重県いなべ市「いなべ梅林」)
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